私のブラジルBLOGも、今年1月から、どうしようもなく気ぜわしく、ブラジル上陸から一行に進んでいない。先へ進まねば...
で、そんな事も思いながら焦っている間に、なんと父母が東京へ行って小野田寛郎さんに会ってきたらしい。
小野田寛郎さんと言えば、戦争が終わってだいぶたってから、フィリピンのジャングルで発見された元日本兵である。
帰国後、いろいろ大変な事があったらしく、今はブラジルに住んでおられるそう。日本の子ども達を対象に自然塾を開いていて、度々日本には来ているらしい....。
ブラジルから帰ってきて、一番変わったのは、父だと思う。
ブラジルへ行くまでは、どちらかというと... というか結構ブラジルに対して偏見を持っており、実はこの旅行は結構冒険だった。
ブラジルで母の親戚達に失礼な態度を取られたらどうしよう.. 一番心配していたのがそれだった。 が、ブラジルの親戚が本当によくしてくれたおかげで、父のブラジル感は一変したように思う。
母もブラジルに行く前と行った後では、父の言動が180度違うと時々言う。
ブラジルへ行っている間も、どこまでも続く広大な牧場でのんびりと飼われている牛を見て、なかなか問題が解決しないアメリカ牛肉の代わりに「ブラジルから輸入すればいいじゃないか!」と何度も力説していた。
食品も輸入関係も全くのど素人の父の言う事なので、誰も本気にしていなかったのだけど、父だけは日本に帰ってきて、その思いが次第に使命感に代わり、フツフツと夢を膨らませていたらしい。
2ヶ月程前に、小野田さんについて調べてくれ、と父に言われ、ネットで調べてファクスで送った事がある。どこからか小野田さんがブラジルへ渡り、牧場経営で成功したらしいと聞いたらしく、その後東京の自然塾の事務所へ問い合わせたり、手紙を書いたりしていたらしい。
手紙のコピーを見せてもらったが、"生涯最後の仕事として、母の親戚をはじめ、ブラジルへ渡って苦労した日系の人達と日本をつなぐ事で、恩に報いたい.."とかなんとか書かれたあった。
手紙の返事は来てないと母に聞いていた。
そりゃそうだろう、たった一回ブラジルに行っただけの見ず知らずの日本人から、牛を輸入したいから、相談にのってくれと言われても困ると思うし...
が、ここが昭和一桁(ってわけでもないかな..)の父母のびっくりするところで、なんと先日、アポ無しで東京へ小野田さんに会いに行ったらしいのだ。
そういや、以前母のブラジルビザが取れずに困っていた時も、母はまったく事前に問合わする事もなく、私がネットで調べた神戸のブラジル協会の住所へ尋ねていって、何もなかった... という事があった。いつも母は父の突然思い立つところを愚痴っているが、そういう夫婦なのかもしれない。
もちろん、事前に小野田さんが東京へ来ている事はつかんで行ったのだろうが、普通会えるとは思わないよな。
---- にもかかわらず、熱意が通じたのか、なんと小野田さん夫婦とお茶して帰ってきたのだ。びっくりした。
小野田夫妻には、アントニオ猪木をはじめ、今までいろんな人が小野田さんを頼って来たがみんな失敗しているのでやめなさい、と強く反対され、説得されたそうだ。
--- よかった(笑)、家族その他に反対されて、いじけて怒り出すような事になるとやっかいだな、と思っていたのだ。小野田さんという、すごい人に説得されて、静かに仕方なくあきらめたのなら、父も納得しているに違いない。
いや〜よかったよかった。
小野田さんってどんな方だったのだろう、私も会ってみたいな。
今度、父にどんな人だったか聞いてみよう。
お父さんとお母さんの行動力に感服です。
小野田さんが日本に帰ってきたときのことをなんとなく覚えていますよ。
「はずかしながら帰ってまいりました」
という一言とともに、日本に帰国した小野田さん。
今でも自分を大切に生きていらっしゃるのですね。
いや~しかし、牛肉の問題にまで考えをめぐらすお父様、すばらしいではないですか~
Comment: 瑠香 (2006.03.19)