たこぶろhome 旅歴 ブラジル編 準備編 日記&記録 徒然

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2005年7月19日〜8月9日 ◎◎ 65年前に生まれ故郷のブラジルから日本へ来て、そのまま一度も帰る事のできなかった母と、父、私の2人の息子を連れて、ブラジルの母の妹家族たちを訪ねた約3週間のブラジル旅行の記録です。母の姉妹の家族が住むサンパウロ、母の生家が残るバストス、かつて、母と祖父が日本へ向けて旅立ったサントスの港などあちこちの母のルーツ巡りの旅。 もちろん、おまけつき。北部の美しいフォトレーザのリゾート三昧。  ※プライバシー保護の為、個人名は仮称で載せています。

母の生まれた町

話はゆっくり進んでいきます(^^;)..

さて、このブラジル旅行の一番の目的地BASTOS(バストス)へようやく着いた。
BASTOSは母が生まれ、7才まで育った小さな町。
昔の事なので、産婆さんなんかが来て、家で産まれたのだろうが、なんと母の日本の戸籍には「ランシャリーヤ駅」で生まれたと記載されてあった... いくらなんでも駅では産まれんやろ(‥;)と思うのだが、戦前の戸籍っていい加減。。。
母の両親は、ここBASTOSで、そこそこ大きな商店さんをやっていた、という話でコーイチおじさんが何度も車を止め、人に聞きながら、探していく。

バストスの家そしてようやく、見つけた!
周りの風景も家の玄関口も、色も変わっているようだけど、屋根の部分の形が昔のまんまだと母が覚えていた。70年前のまんまの建物が残っていた!
今は壁が黄緑色に塗られ、おしゃれな雑貨店になっていたが、店の人に事情を話すと店の奥まで入れてくれた。
裏に細長くつづいていたと言う建物は、今は半分までで、後ろの土地は売られたらしく、別の家が建っていた。
バストスの家 バストスの家
しかし、裏庭の木は昔のものが残っており、雰囲気も残っていたみたいだった。
母とシズヨさんはとても懐かしそうに「ここがずっ〜と細長く続いていたよねぇ」とか「よくお菓子もらって奥へ行っていたよね」とか話していた。
その頃、母はポルトガル語を話していたのだろうか? 日本語だったのだろうか?
バストスの家 バストスの家

バストスの家その夜はBASTOS近くのTUPAという町のきれいなホテルに泊まった。
子ども達は、この日もホテルの部屋に入ると、早速テレビを着けて、慣れたアニメチャンネルを探していた。
次の朝は、また早朝から出発し、一日車で走って、夜暗くなってから、サンパウロのコーイチおじさんの家に着いた。
この5日間の走行距離は2,470km。
ざっと日本の北海道の端から沖縄までの直線距離くらい。ホンマにお疲れ様でした〜。

takotako (2006.10.13) : Comments (0)

加古川通り

なかなか進まないが、話はまだ母のセンチメンタルジャーニーの途中です。
祖母のお墓参り、イグアスの滝と過ぎて、この小旅も帰路に向かってきた。
毎日、早朝に出発して、相変わらず車に乗ったとたんに睡魔に襲われる。昼食をドライブインでとり、再び車に乗って寝る...午後目的地に着く。
私と二人の子ども達はエジナードが運転する車に乗せてもらい、私の父母はコーイチおじさんの運転する車に乗せてもらっている。分かれて乗っているので、父母がどうしているかわからない。
母も車に乗るとし知らない間に寝てしまう〜 と言っていたので、同じ様に二人ともほとんど寝てたのかもしれない。父は日本では、釣りに行くときだけは元気だが、普段は歩かないし、少し足が悪いので、杖をついているし(ほとんど"ダテ"みたいなもんだけど)、昼間はしょっちゅう昼寝をしている。とにかく短気ですぐ怒る。---- そんな感じなので、この旅は本当に心配していたのだが、さすがに日本の真裏に来て、あきらめているのか、おとなしいし、機嫌もまぁいい。不思議。
おばさんの話によると、コーイチおじさんもずいぶん短気なたちなのらしいが、父をたてて、よくしてくれているに違いない。ありがたい!

Maringacityさて、この日は、母の生まれた町BUSTOSへ向かっていた。
私の両親は兵庫県の加古川というところに住んでいるのだが、途中その加古川と姉妹都市のMARINGAという町を通った。きれいで整備された町で、走っていると「Av.Kakogawa」(加古川通り)というのがあったので、記念写真を撮るために止まった。
父が降りて、看板の前で私が写真を撮ってあげた。
おばさんも降りて来たので、少し立ち話をしていた。父が先に車に乗って、その直後、おばさんを置いて車がさ〜っと出発してしまったのだ。「え〜っ!? 待って待って〜」
数十メートル走って車は止まった。
なんでもおばさんが降りているのをすっかり忘れて、さっさと走り出してしまったのだそうだ。
やはりおじさんも短気だった---というエピソード。
なんだか笑ってしまった出来事だった。


余談だが、この前書いたイグアスの滝。今年はひどい水不足で滝の水がずいぶん減っているそうだ。新聞の切り抜きをシズヨおばさんが送ってきてくれていたのだが、あのものすごい水の流れはなく、なんだか大きな岩山にちょろちょろ水が落ちている...といった写真が写ってた。地球規模の異常気象なんだ。ちょっと怖い話です。

takotako (2006.08.04) : Comments (0)

ついにイグアズの滝!

イグアスの滝!!
これがイグアスの滝だ〜!!

バードパーク
ホームページがありました
バードパーク(Parque das Aves)

みんな冬着
みんな冬着
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イグアスの滝のアナグマ
やっと滝が見えた!
やっと滝が見えた!
イグアスの滝の正面から
滝の正面から眺められる歩道
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滝の真横から
次の日は朝7時出発だった。
車はホテルの駐車場に預けて、小さな観光用のマイクロバスが迎えに来た。

すぐ着くのかと思っていたら、しばらく走って、着いたのは鳥の動物園「バードパーク」だった。ツアーバスなので観光ルートに入ってるんだろうな、と思う。 小さくて素朴な入口だったので、あんまり期待していなかったのだが、入ってみると、南国の鳥がほとんど放し飼い状態で、すぐ近くまで寄って来て、結構楽しかった。
--- 南国の鳥の動物園、というとなんだか蒸し暑い感じを思い浮かべるのだけど、この時はブラジルの冬。サンパウロでも結構寒かったが、ここイグアズではさらに寒く、冬服を持っていかなかった私達は、借りたセーターやらジャンパーやらを着込んで十分だったのだ。

「バードパーク」を出て、またしばらく車で移動するとやっとこさイグアスの滝についた。滝についたと言ってもそこに滝があるわけではない。
世界的に有名な名所なので、大きな立派な博物館のような建物が建っており、そこからさらに公園の中を走るバスに乗り換えて移動しないといけないのだった。
001kanku.jpgガイドさんが、滝の地図を前にいろいろ説明してくれる。もちろんポルトガル語なので、さっぱりわからないが、地図を見ると、イグアスの滝は一ケ所でなく、何ケ所にもあり、さらに大きな川の周辺の森に、カヌーをしたり、キャンプをしたりするようなところもあって、そのあたりいったいの公園をいうようだった。

カラフルな動物の描かれた二階建てのバスに乗り込むと、そこからまた10〜20分程揺られる。バスの2階は窓がなく、結構寒くてこたえた。
やっと終着点に着くと、そこからはゆるやかな山道を歩いていかないといけない。シズヨおばさん、コーイチおじさんは結構元気なので、大丈夫そうだが、私の両親2人はきつそうだった。
山道を歩いていくと、人なつっこそうな尻尾の長いアナグマが餌をくれないかなぁ〜と、観光客の足下を何匹もすり抜けていく。うちの子ども達はお菓子を食べながら歩いていたので、熊が寄ってきたが、ガイドさんにあげてはダメだと注意されて、しかたなくおかしを隠した。

しばらく歩いて、やっとこさ滝の見える広場に出た。まだ少し遠いが、巨大な滝がジャンジャン流れているのがわかる。滝の近くは霧でかすんでいて、なんとも雄大だ。
ここで、記念写真と少しの休憩を取る。
気を取り直して、さらに歩いていく。近づくに連れて、ゴーゴーという滝の音と、霧の中に入ったような薄暗い感じになっていく。虹もかかっている。
さらに近づいていくと、そこはもう夕立でも降っているような感じ。
ゴーゴーという爆音で、普通に話していると聞こえないので、みんな叫んでいる。滝のすぐ前まで行けるように、川の上に展望用の歩道が作ってあるので、歩いていくが、もう大雨の中を歩いているようで、みんなびしょぬれになる。
さらに滝のすぐ脇に展望台があり、エレベーターで2階に上がると、すぐ滝の横から眺められるようになっていた。とにかく凄い音と水の流れに圧倒されて、凄いすごい〜 としか言葉が出ない。

ふと、シズヨおばさんが「パスポート持ってきた?」と聞く。「え!?パスポートいるの〜!?」 なんでも、パスポートがあれば、イグアスの滝のアルゼンチンとパラグアイ側に行く事ができたのだそうだ。
普段の海外旅行なら、パスポートはいつも身につけているのに、今回は、すっかり親戚のおばさん達に遊びに連れて行ってもらってる感覚で、サンパウロの家に置いてきてしまったのだ。し、しまった〜..   というわけで、国境越えはできなかった。残念!!


イタイプーダム滝の後は世界最大の水力発電所という「イタイプーダム」を見に行った。
観光案内の映画を見るとなんだかとにかくすごくて、何カ国にもまたがって、ものすごい水の量のダム!!--- というような感じだったのだが、ダムの横を観光バスで通った時は、水は流れておらず、ただの巨大な工場... という感じだった。ん〜。

世界に誇るブラジルの滝を、私達に見せられた事がとてもうれしかったのか、帰り道、コーイチおじさんは何度も、子ども達に、「どうだった〜?」「すごかったでしょ〜」「世界一の滝を見たよーって、友達に自慢できるね〜!」と話しかけた。

001kanku.jpg戻ってから、その夜はCAMPO MOURAOという町まで移動した。
小さな町だったので、ホテルがあまりなかったが、おじさん達は何度か町の人に聞きながらひとつのホテルを見つけた。入口が工事中で瓦礫の山だったが、中はとってもきれい。レセプションには、1部屋110〜140ヘアルと書いてあったのだが、交渉して、70にしてもらったと、後でおばさんが教えてくれた。さすがネイティブ強し!
部屋もとてもきれいで、部屋に入ると早速子ども達はテレビをつけて、アニメのチャンネルを探していた。

takotako (2006.08.02) : Comments (0)

イグアスの滝にはまだつかない

妹にもう1年たったよ。---と言われてしまった。早よ書こう。

さて、再び早朝に出発したのに、またまたその日も一日中ドライブだった。
お昼はドライブインのビュッフェ(バイキング形式)。ブラジルは車の移動も多いからか、レストランが充実したドライブインが多いようだ。
なんせ大所帯なので(総勢9人)で、ひとつひとつ注文していたら大変な事になるので、この後もランチはたいていビュッフェだった。
ランチはだいたい一人7〜9ヘアルくらい。日本円だと300円くらいか? 
パスタ・肉料理・スープ・デザート・ジュース・コーヒー・パン・ライス...etc.
日本の食べ放題と似たような感じだけど、メニューも豊富で、時々塩っ辛い味付けもあるけど、だいたい美味。
両親、特に父親は途中で日本食が食べたいと言い出すかな、と心配していたが、特に文句を言うこともなく、好きなものを食べていた。
子ども達はもちろん大満足。

この日、イグアスの滝に着くのかと思っていたら、夕方、滝の入口の町「フォズ・ド・イグアズ」に着いて、今晩はここで泊まり、明日朝から見に行くとの事だった。
ブラジルの地図の中で、サンパウロからイグアスの滝って、ほんのちょっとなのに、なかなか着けない。

「フォズ・ド・イグアズ」のホテルはサンパウロから予約していたらしい、ちょっと古い感じの中級(?)ホテルだった。思ったよりあまりよくなかったようで、後でおばさん達は文句を言っていた。確かにドアも締まりが悪く、シャワーもあまり出なかったが、しっかりとボーイさんが荷物を運んでくれたので、チップは必要だった。
しかし、実は私は、外国の小さなホテルが大好きだ。昔バックパッカーをしていた頃はもっとはるかにボロい宿に泊まっていたので、なんだかボロければボロいほど懐かしくてうれしくなってしまう。子ども達もベットがボワンボワン(と跳ねる)というだけで、はねたり、枕を投げたりで、大喜びしていた。

そしてさらに、子ども達は、ここへ来てテレビのアニメは言葉がわからなくても面白い!---という事に気づいてしまい、すっかりホテルのテレビが気に入ってしまった。
最初に気に入ったのは、ポパイ。昔、私たちが子どもの頃に見ていたのと同じ。あの単純な笑いは、言葉抜きでも十分面白いみたいで、毎回ホテルに泊まる度に探していた。ブラジルのテレビはチャンネル毎に種類が分かれているようで、アニメのチャンネルはずっとアニメばっかりやっていた。他に今は日本でもやっているPUFFYのアニメや、よく外国の子ども向け文具などで見るスポンジくん、日本のロボットアニメみたいなのもやっていた。

夜は、近くのレストランに食事に行き、また、明日6時起きだと言われる。本当にブラジルの旅行は朝が早い。

takotako (2006.07.31) : Comments (0)

LONDRINAと祖母のお墓参り(2)

ブラジルMAPLONDRINAはサンパウロよりはずっと静かな感じの田舎町だった。道には街路樹があり、通りに面したそれぞれの家には庭があり、ゆったりとした感じだった。
しかしそれでも、各家の前には大きな鉄格子の門があり、鍵を開けないと家に入れないようになっていた。田舎とはいえ、やはりブラジルは物騒なようだ。
サンパウロとは、少し雰囲気は違うものの、玄関を入るとまずソファーのある広間があり、その奥にリビングルームやキッチンがある。トイレは広間横と、リビングの奥(ここは立派なシャワールームがついていた)、そしてベッドルームにもあった。ブラジルの家は、ベッドルームにトイレとシャワーがついていて便利。それに造りがシンプルなのか、よけいなモノがあまり置いてないせいか、どの家もなんだか開放感のある広い印象があった。

カスミさんの家で少し休憩し、その後、カスミさん、カスミさんのだんなさん、義理の姉(?)達そして私達と何台かの車に分かれて祖母のお墓に向かった。
LONDRINAに着く少し前から雨が降リ出して、途中、市場でお花を買った時もずっと止むことがなかったのに、お墓に着ついたとたん、さっと雨あがった。

ロンドリーナみんな口々に「お姉ちゃんが日本から来たから、お母さんが喜んで雨が上がったね」と言っていた。LONDRINAのお墓は、サンパウロとは違って、それぞれに立派な墓石があり、名前が掘ってあった。名前は一人ではなく、日本のお墓のように家族のお墓になっているようだった。
彫られている祖母の名前は母の旧姓ではなく、再婚しただんなさんの姓になっていた。
ブラジルMAP
旅の疲れのせいか、周りにはじめて会った義理の妹達がいるせいか、母はサンパウロでのように、涙ぐむことはなく、静かに祖母の名前をなぞりながら、なんだか不思議な表情をしながらお墓を眺めていた。
その夜はカスミさんの家と、カスミさんの兄弟の奥さん(だんなさんは亡くなっている)のお家に別れて泊まり、次の日の早朝、6時頃に出発した。
ブラジルの旅は忙しい。

takotako (2006.07.04) : Comments (0)

LONDRINAと祖母のお墓参り(1)

次の日、4時半起床。
エジナードと彼の奥さんのヒロミさんが車で来てくれた。うちの家族5人とシズヨさんとコーイチさん、車1台では乗り切れないので私と子ども達はエジナードの車で乗せて行ってくれるらしい。
まだ時差ボケが残っているせいか、早朝の起床はそれほど苦ではなかった。しかし、車に乗ると --- 後で母も同じような事を言っていたのだけど --- 運転してもらっているので、寝ては悪いと一所懸命、外の景色を見たり、話しようとするのだけど、知らないうちにストンと意識がなくなって、寝てしまうのだ。車に乗ると、たいてい眠くなってしまうものだけど、なんか途中の「あ〜眠たいなぁ」がなくて、いきなり意識がなくなってしまう。
時差ボケのせいに違いない----ごめんなさい。

--- んな訳で、この日は午後にLONDRINAの「カスミさん」という人のお家につくまであまり記憶がないのだけど、永遠と続く長いまっすぐな道の両側はひたすら牧場で、サンパウロを出てしばらくは、茶色い土だったのが、しばらくすると、赤い赤い赤土に変わって、ところどころにこんもりと盛り上がったシロアリの巣を見ながら、ひたすら車にゆられていたのだ。

ブラジルの道ヒロミさん(彼女も日本語が上手)がなぜ、妹なのか?(母の妹はシズヨさんとキヌエさんだけのはずなのに)---という疑問は、道中ヒロミさんと話している間に解決した。
---- 要するに、祖父が亡くなった後、祖母は再婚したという事なのだ。
---- ちょっとややこしいのだが、この後行く、LONDRINAのカスミさんは、祖母の再婚相手の子ども、ヒロミさんは再婚後生まれた子ども。他にも兄弟姉妹がたくさんいて、家系図を書かないとこんがらがってわからない。

ともかく、途中ドライブインで軽い食事をする以外は、ひたすら走り、午後LONDRINAへ着いた。

takotako (2006.06.02) :

息子はドクター

001kanku.jpg夕方、家に帰ってきてシズヨさんに「ブラジルに着いてから手や背中がずっとかゆい」と言っていたらシズヨさんの息子のエジソンがどうしたの? と聞いてきた。
---シズヨさんとの会話は日本語だけど、その下の世代、いとこ達はあまり日本語がわからないので会話は英語。その下のおいっこ達は英語も日本語もわからないので、ポルトガル語Only!---で、会話はゼスチャー(笑)---ややこしぃ!
(左から)コーイチおじさん、エジソン、空港に迎えにきてくれたエジナード

エジソンはお医者さん。年は私より2〜3才下らしいが、背も高いし、職業柄か、なんだか貫禄があるし....実は頭の上が少し寂しい... ので、話していると、どうも5才くらい年上の感じがする ---- で、そのエジソンに「どうしたの?」と聞かれたので、飛行機を降りてから手や背中にブツブツが出来てきて、かゆい。フミトも同じだ。と言ってみた。そしたら「チョット待ッテ」(なぜかエジソンもその弟のウーゴも「チョット待ッテ」だけは日本語で言う)といって、居間の棚の引き出しを開けた。引き出しの中は薬がいっぱ〜い!! いくらお医者さんとはいえ、そんなに薬持って帰っていいの!? とちょっとびっくりしたが、その中から適当なのをひっぱり出してきて、「アレルギーだからこれ飲んでみて」と私には飲み薬、フミトには塗り薬をくれた。
お医者さんが家にいるって便利だな〜

明日からはいよいよ、母のセンチメンタルジャーニーに出発する。祖母のお墓参りと母の生まれた町「BASTOS」とおまけに「イグアスの滝」も見に行く。
シズヨおばさんと、コーイチおじさんが明日は5時に出発するから早く寝よう、と言った。1日500kmくらい車で走るそうだ。どうなるか楽しみ〜

takotako (2006.04.16) :

お墓参りでアイルトン・セナ!

次の日の朝食はパンと大きなハム食べ放題だった。
食べ盛りのうちの子ども達は大喜びで、パンにたらふくハム詰め込んで食べたのだった。

この日、スーツケースをなくしたアメリカンエアラインから連絡が来ることになっていたので、連絡を待って、母の弟のお墓参りに行く予定だった。しかし、電話がかかって来たのは午後2時過ぎ、しかも「スーツケースが出て来たので、夜中12時迄に届けます」との事。結局どこにもいけず、また昼寝なんかしながらだらだら過ごしていた。スーツケースが届いたのは、夜中の11時半だった。
後で夫から、スーツケースが届くまでに、服とか日用品とか買ってたら、保険で全部おりたのに! とメールがあった。そんな事言ったって、ブラジルのお金持ってないし、なんだか買い物に行くのも怖かったんだもん....(いや、ホントはブラジルは買い物天国です!後でさんざん買い物したし!)

そうそう、日本との連絡用におじさんの家のパソコンを使わせてもらえる事になったのだけど(ホントはいとこのウーゴのパソコンだったらしい)、日本語は"読めるが打てない"パソコンだった。。。 おかげでブラジル滞在中は、下手くそな英語で日々BLOGを書く事になった。いい訓練になったわ。。

さて、そうして、その次の日。日付は7/22。
ようやく母の弟お墓参りに行く事になった。母の弟は、母と祖父が日本へ発った時、祖母のお腹にいたそうで、産まれてから父親と一番上の姉の顔を見る事なく病気で亡くなったのだそう。母も手紙と写真でしか知らない弟だ。

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サンパウロの墓地は高級住宅地の中にある。
大きなお屋敷や高層マンションの間を抜けると、突然広くてきれいな公園に出る、そこが墓地。お墓に墓石はなく、名前などが書かれたプレートが均等に並んでいるだけ。
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ただ、これはブラジル式いうわけではなく、その墓地ごとに形が違っているようで、後で行った別の墓地はまた全然形が違っていた。
母は、弟のお墓のプレートを少し涙ぐみながら手でなでてきれいにしてあげていた。みんなでお花を添えて、日本式に合掌した。
みんなでお祈り

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Ayrton Senna da Silvaって書いてある

おじさんが言った。「アイルトンセナのお墓があるよ」
特にF1が好きなわけではないが、さすがにセナは知っている。「え〜っどこどこ!?」
母の弟のお墓から、そんなに遠くない公園の真ん中にセナのお墓があった。
公園の真ん中で、一本の大きな木の前だったけど、他のお墓となんら変わらない、なんの飾りっけもないお墓だった。一応お墓だし、ちょっと躊躇したのだけど、おじさんが「撮っときなさい、撮っときなさい、記念になるよ」とためらいもなく勧めるので、うれしがって記念写真を撮った。すみません〜〜 
こんなきれいな墓地だし、ブラジル人のおじさんには特にお墓だから「申し訳ない」とか「何か写るかも〜」なんて思いはないのかもしれない。
001kanku.jpgす、すみません、、、一応記念に。

takotako (2006.04.13) :

親戚がたくさんのパーティ

いいかげん続きを書かないと忘れてしまうなぁ。
って事で、ブラジルの続き。

サンパウロの景色シズヨさんの家からの風景。サンパウロは大都会

親戚が集まったブラジルに着いた日、母を除いて、みんな昼寝をさせてもらった。夕方起き出して、お茶もらったりしているうちに、徐々に親戚が集まって来た。ざっと30人ばかり。いろいろなごちそうを持ち寄って、ささやかなパーティを開いてくれたのだ。
母と同世代の親戚達は、だいたい日本語が話せたけれど、私と同じ世代の人たちは、ほとんど日本語がわからない。つたない英語と日本語をごちゃまぜにしてたくさん挨拶した。後になって、誰が誰かだんだんわかってきたのだけれど、この時点では、やたら兄弟姉妹が多くてちっともわかっていなかった。ただ、どの人もにこやかに私たち家族を歓迎してくれていた。

プレイステーションをする子ども達
子ども達は、言葉のわからないいとこ達に、最初えらく戸惑っていたが、プレイステーションが出て来ると、いきなり仲良くなっていた。国は変われど...だ。
PSで遊ぶ子どもたち


ブラジルの親戚達を見て、不思議だなぁと思った事がある。
日系人なので、日本人と同じなのは当たり前なのだけど、よく海外にいる日本人に会ったり、見たりすると、日本人なのに、なぜか雰囲気が違う(すっかりその国の人になっている)感じがする事が多いのに、ブラジルの日系人は日本の日本人ととてもよく似た雰囲気なのだ。"古き良き"日本人を引き継いでいるからなのか、ブラジルの社会が日本と似ているところがあるからなのか、よくわからないけど、耳慣れないポルトガル語を除けば、日本人になじみやすいのかも、と思った。

そうして、その日のパーティは終わり、夜遅くみんな帰っていった。
ブラジルはとても治安の悪いところで、夜は出歩けないと聞いていたので、みんな夜遅くに軽装で集まったり、帰ったりするのが、この時はまだとても不思議だった。確かに油断をすると怖いみたいだけど、そんなびくびくする程でもないのかな...? まだこの時点では日本で聞いた「自分の回りに10人いたら、9人は泥棒」の言葉(ブラジル人に聞いたのだ)を信じていたのだ。

takotako (2006.04.06) :

小野田寛郎さんに会ったらしい

私のブラジルBLOGも、今年1月から、どうしようもなく気ぜわしく、ブラジル上陸から一行に進んでいない。先へ進まねば...
で、そんな事も思いながら焦っている間に、なんと父母が東京へ行って小野田寛郎さんに会ってきたらしい。
小野田寛郎さんと言えば、戦争が終わってだいぶたってから、フィリピンのジャングルで発見された元日本兵である。
帰国後、いろいろ大変な事があったらしく、今はブラジルに住んでおられるそう。日本の子ども達を対象に自然塾を開いていて、度々日本には来ているらしい....。

ブラジルから帰ってきて、一番変わったのは、父だと思う。
ブラジルへ行くまでは、どちらかというと... というか結構ブラジルに対して偏見を持っており、実はこの旅行は結構冒険だった。
ブラジルで母の親戚達に失礼な態度を取られたらどうしよう.. 一番心配していたのがそれだった。 が、ブラジルの親戚が本当によくしてくれたおかげで、父のブラジル感は一変したように思う。
母もブラジルに行く前と行った後では、父の言動が180度違うと時々言う。

ブラジルへ行っている間も、どこまでも続く広大な牧場でのんびりと飼われている牛を見て、なかなか問題が解決しないアメリカ牛肉の代わりに「ブラジルから輸入すればいいじゃないか!」と何度も力説していた。
食品も輸入関係も全くのど素人の父の言う事なので、誰も本気にしていなかったのだけど、父だけは日本に帰ってきて、その思いが次第に使命感に代わり、フツフツと夢を膨らませていたらしい。
2ヶ月程前に、小野田さんについて調べてくれ、と父に言われ、ネットで調べてファクスで送った事がある。どこからか小野田さんがブラジルへ渡り、牧場経営で成功したらしいと聞いたらしく、その後東京の自然塾の事務所へ問い合わせたり、手紙を書いたりしていたらしい。
手紙のコピーを見せてもらったが、"生涯最後の仕事として、母の親戚をはじめ、ブラジルへ渡って苦労した日系の人達と日本をつなぐ事で、恩に報いたい.."とかなんとか書かれたあった。

手紙の返事は来てないと母に聞いていた。
そりゃそうだろう、たった一回ブラジルに行っただけの見ず知らずの日本人から、牛を輸入したいから、相談にのってくれと言われても困ると思うし...

が、ここが昭和一桁(ってわけでもないかな..)の父母のびっくりするところで、なんと先日、アポ無しで東京へ小野田さんに会いに行ったらしいのだ。
そういや、以前母のブラジルビザが取れずに困っていた時も、母はまったく事前に問合わする事もなく、私がネットで調べた神戸のブラジル協会の住所へ尋ねていって、何もなかった... という事があった。いつも母は父の突然思い立つところを愚痴っているが、そういう夫婦なのかもしれない。

もちろん、事前に小野田さんが東京へ来ている事はつかんで行ったのだろうが、普通会えるとは思わないよな。
---- にもかかわらず、熱意が通じたのか、なんと小野田さん夫婦とお茶して帰ってきたのだ。びっくりした。
小野田夫妻には、アントニオ猪木をはじめ、今までいろんな人が小野田さんを頼って来たがみんな失敗しているのでやめなさい、と強く反対され、説得されたそうだ。
--- よかった(笑)、家族その他に反対されて、いじけて怒り出すような事になるとやっかいだな、と思っていたのだ。小野田さんという、すごい人に説得されて、静かに仕方なくあきらめたのなら、父も納得しているに違いない。
いや〜よかったよかった。

小野田さんってどんな方だったのだろう、私も会ってみたいな。
今度、父にどんな人だったか聞いてみよう。

takotako (2006.03.19) : Comments (1)

シズヨさんの家-2

シズヨさんの家に着いて、まずそれぞれ泊まらせてもらう2階の部屋に連れていってもらった。私と2人も子ども達は、2つベッドがあって、パソコンやオーディオセットがずら〜と並んでいる6帖くらいの部屋。男兄弟がいると聞いていたので、彼らの部屋だと思った。ベッドが足りないので、マットレスをひとつ持ってきてくれた。マットレスをそのまま床において、シーツをかけて即席ベッドの出来上がり。
この辺はさすが、ブラジル人かしら。結構大雑把。
部屋の隣に洗面室。中は広い洗面台とトイレと、プラスチックの板にしきられたシャワールームがあった。

父母の部屋は、2階の反対側の落ち着いた内装の部屋。大きいダブルベッドがあって、部屋の奥に、ドアで仕切られた洗面ルームがあった。こちらも洗面台とトイレとシャワー。後に他の人の家にも行く機会がありわかったのだけど、ブラジルのシャワールームはこの形式が多いみたいだ。シャワーの仕切りは、透明のプラスチックかガラスの引き戸。そういえば、ホテルもほとんどこのタイプだったな。仕切りがガラスのところはシャワーを使ってる時や、開ける時にガラガラ行って、割れそうでヒヤヒヤした。
父母の泊まった部屋のシャワールームには小さなお風呂があったけど、使うのは年に数回だそうだ。この部屋は普段シズヨさんとコウイチさん夫婦が使っている部屋のようだったけど、母はダブルベッドで父と寝ると、狭いし、布団は引っ張られるし、いびきがうるさくて気になるし、寝にくい!! とずっと漏らしていた。---- ずっと後の旅行で、ホテルに泊まった時、父母の部屋をダブルベッドでなく、ツインにしてくれ、と頼んだら、そんな事を頼まれた夫婦ははじめてだ、と言われた。。。。文化の違いだからしょうがない。

私たちが泊まっている間、シズヨさんとコウイチさんは、寝室の隣のクローゼット部屋のような部屋で、男兄弟 -- その夜、30代後半のエジソン(Edson)とウーゴ(Hugo)と判明 --- は、まだ建築途中(もう1年以上かかっているらしい)のお向かいのウーゴの家へ布団を持っていって、寝泊まりしていてくれたらしい。
長い間ありがとうございました!

1階は、玄関に入ってすぐの大きな居間と奥のキッチン・ダイニングルーム、こちらはそれほど大きくはない。6帖くらい。間に階段。階段下には、広いトイレ。こちらは中から鍵(普通のトイレの鍵ではなく、キーを使う鍵)がかけられるようになっていた。
--- 実は以前ピストルを持った強盗に入られた事があり、みんなトイレに押し込まれて、いろいろ盗まれた事があったのだそうだ。それから、中からも鍵をかけられるようにしたのだとか....  やっぱりちょっと怖いかも..ブラジル。
キッチンの裏の戸からは、石づくりの階段のついた、庭と洗濯干場に出られたのだけど、大きなシェパードを飼っていて、こいつが言う事を聞かないから危ない。と一回も出してもらえなかった。花が咲いていたりして、きれいな場所だっただけに残念。

多少、窓や部屋の作りが日本と違う事はあったけど、そんなに違和感はなく-- 日系人だったからかもしれないが --- この後3週間、ずっと快適に過ごさせてもらった。
うちの父だったら、家に3週間も家族以外が寝泊まりしたら、途中で爆発するだろなぁ、と思う。今から考えても、心の広いコウイチさん、シズヨさん一家に本当に感謝!
ブラジルへ行って、よかったなぁ!

takotako (2006.01.12) : Comments (0)

シズヨさんの家-1

三姉妹は、肩を抱き合ったり手を取り合ったりして再開を喜んでいた。
「姉ちゃん、姉ちゃんよく来たねー」「遠かったでしょー」うっすらと涙を浮かべて。
父もこの時ばかりは、涙を浮かべた... かどうかはわからないけど、うんうんとうなづいていた。

ひとしきり話して落ち着くと、駐車場へ向かった。父母と伯父さんと伯母さんのひとりは別の車の方へ。もう1人の伯母さんは私達親子を連れて別の方へ。車の側には少し色の浅黒い、日本人とは顔つきの違う人が待っていた。「妹のだんなさんのエジナードね」と紹介してくれた。
日本にいた時に受けとったメールに書かれてあった「イモウトノ ダンナサンハ ブラジルジンデス。デモ ヤサシクテ イイヒト」の人だな、と思った。
何系というのかな? 失礼な感じがして、最後まで聞かなかったけど、ヨーロッパ系でもない、どちらかというとインド〜中東 あたりの顔に近いかな。背は男性にしては高くなく私よりも低いかも。ニコニコしているけど、日本語はわからないみたいだった。
空港から30分ほどの家まで彼が運転してくれた。
母の妹は迎えにきてくれた伯母さん2人のはずなので「妹のだんなさん」の「妹」が誰なのか、よくわからなかったが、車の中で話しているうちに2人の伯母さんについてはだんだんわかってきた。

だいたい日本でメールしているときも「コウイチ」「シズヨ」「キヌエ」「Edson」「Eliane」「Hugo」など、いろいろ出て来て、誰が誰かさっぱりわからなかったのだ。

今車に乗っている人は「シズヨ」さん。別の車に乗った男性は「コウイチ」さんで、この2人が夫婦。母の2番目の妹。10年ほど前に、日本に働きに来ていたそうだ。そういや、私もお会いした記憶がある。2年ほど住んでいたらしいのだが、関東の職場で働いていたそうだし、私もその時は母と別に住んでいたこともあり、ほとんどお会いしてないのかしら? ---少ししか覚えていない。
もう1人いた伯母さんは「キヌエ」さん。母の一番目の妹。「シズヨ」さんとは家が隣どうしなんだそうだ。

車はブラジルサンパウロ町中を通り過ぎていく。「これぞブラジル!」というのを見つけようと外を見ていたがそれほど日本と違うところはなかった。ただ落書きは、だいぶ日本より多かったかな。

話しているうちにシズヨさんとコウイチさんの家へ着いた。
2度ブラジルへ行った弟から「家の前には門があって、強盗が来ると怖いから、リモコンであけて、車ごと門の中に入る」と聞いていたので、ものすごい大豪邸を想像していたのだが、それほど... いや、日本の家に比べると、もちろん大きいが、町中だし、ちょっと立派な普通の家だった。
ブラジルの家はすべて家の前に鉄格子がついているようだ。確かに泥棒は多いのだろう。
家の玄関とガレージがつながっていて、その前が完全に鉄格子で守られていた。
弟の話では、「窓を大きく開けると、ピストルで狙われるから、窓はほとんど開けずにリモコンで門を開ける」という事だったが、父母の車と、私たちが乗ったエジナードの車もあるので、1台はガレージに、もう1台は家の前に止めて荷物を下ろした。

父母のでっかいスーツケースがないので、荷物はしれてるが、玄関が2階くらいの高さにあったので、順番に階段をエッチラオッチラと登って家に入った。ブラジルは冬なので、イメージしていた「家の周りに花が咲き乱れて南国っぽい風景」はなかったが、石づくりの冷たそうな感じの階段と玄関、玄関から入ったすぐの広い居間... を見て、やっとブラジルについた〜 という感じがした。

それぞれに「やっと着いた〜」と言いながら、本当にやっと落ち着いて座る事ができた。

takotako (2005.12.05) : Comments (0)

ブ、ブラジルだ〜

再び同じアメリカンエアラインの中。

さすがにフミトも4時間近く寝れたので、だいぶ元気になっていた。
出発すると、すぐ夕食だった。
とりあえず「chicken or beef ?」なんて聞かれるから、父母を手助けすなくっちゃと思っていたが、子どもの相手でバタバタしていたら、もう父母の隣には、ディナーのコンテナが到着していた。「chicken or beef ?」 ではなくて「pork or beef ?」だったけど、なんと2人ともそれぞれにちゃんと好きな方をGETしていた。
その後も、なんだかんだ、となりの若い女性に話しかけたりして(?)結構楽しそうにやっている。
親に対していうのも失礼だが、「案ずるより産むが易し」っていうか、過保護に心配するより、やってみるとなんとかなるもんなんだなぁ、と思う。
後で、聞くと、2人とも隣の女性がとても親切で、落ちた毛布を拾ってくれたり、カタコトで話してくれたりと、結構コミュニケーションを楽しんでいたみたいだった。たぶんちょっとした事だったんだろうけど、年をとっても、新しいチャレンジってのは、楽しいもんなんだなぁ、ってなんだかうれしくなってしまった。

このアメリカ発の飛行機では、もう日本語の映画はやっていない。それでも子ども達は、勝手に英語のアニメを見たり、映画にしてみたりして、それぞれに楽しんでいる。2回目の飛行機だし、もうブラジルに着くという思いあってか、みんな1回目の飛行機より、だいぶ気が楽になってる気がする。

ツボ押し4つも買った100円ショップの空気枕は、結局役にたたずじまいだったが、意外に重宝したのが、100円ツボ押し。手のひらサイズのピンクのトゲトゲの樹脂でできたやつ。一見ちょっと怪しい形...。
座りっぱなしで、だるいので、順番にみんなで回してモミモミしていたら結構気持ちよかった。外国人から見たらへんな日本人家族に見えたかもね。

寝たのか寝てないのかわからないうちに、朝食の時間が来て、またパンと飲み物が配られる。アメリカンエアラインのコーヒーは、行きのも帰りのも、やっぱりアメリカンなのか、薄くてまずかったけど、なぜかパンだけはとてもおいしかった。ホカホカのクロワッサンで、これだけはパン好きの私と母は喜んでいたのだった。

さてさて、飛行機は10時間の長いフライトを終え、ようやくブラジルに着いた。
いや〜 遠かった!!
アメリカと違って、ブラジルは入国も楽勝。母のブラジルパスポートを見て、何度かポルトガル語で話しかけられたけど、日本人で話せない事がわかると、どこもすんなり通してくれた。特に問題もなく、バッケケージクレームまで来た。
ここで荷物を取ったら、やっと外に出れる。
------ が、ここでまたトラブル発生!
私のスーツケースはすぐ出て来たが、待てど暮らせど、父母のでっかい銀色のスーツケースが流れて来ない。
似た色のやや小振りのスーツケースが何度も回ってくる。
ず〜っと待っていたら、ついに最後になってしまった。
しかしあるのは、小振りの似たスーツケースだけ。
もしかしたら、間違えて持って行かれてしまったかもしれない。

係員に事情を言って、書類を書いてもらう。
後で、調べて宿泊先に電話してきてくれるという。やれやれだ。
だいぶ長い時間探していたので、外で迎えに来てくれているおばさん達が心配しているかもしれない。急ぎ足で、部屋を出る。

あの「ハルとナツ」の最終回に出てきた、サンパウロの空港の出口だ。
ドアを出ると四角いガラス壁の仕切りがあって、(※よく見るがなんていうのだろうと調べてみたら「ガラスブロック」というらしい。こんなやつ→http://www.knets.co.jp/shop/glass/その後に、ステンレスの手すりの通路が続く。手すりの外には出迎えの人が大勢それぞれの待ち人を探している。

サンパウロで再会歩いて行くと、男性の声で「兄さん!姉さん!こっちこっち!」と呼びかけられた。あ、この人見た事がある。
今、この時までブラジルの親戚といっても顔がもひとつわかっていなかったのだ。この人は10年くらい前に日本に来た事がある人だ。その人に着いて行くと、女性が2人待っていた。一人は見た事がある、男性と一緒に日本に来ていた人だ、母と少し似ている。もう一人ははじめて見るがこの人も母とよく似ているので、姉妹だとわかる。

こうして、64年ぶりに三姉妹が、ようやく揃う事ができたのある!

takotako (2005.11.30) : Comments (1)

さらにダラスで4時間!

ダラスに着いた。
日本を出たのは7/19の夕方だったのに、ダラスに着いても19日の午後3時半。
この時点ですでに時間も日にちもこんがらがっている。

飛行機を降りて、他の乗客の後をついて行くと、荷物が運ばれるターンテーブルの前に出た。みんな次々に自分の荷物をピックアップして運んで行く。普通トランジット(乗換え)なら、荷物は目的地まで運んでくれる。不安だったので、近くの係員に聞いてみる。なんだか、テロ対策で自分の荷物を運ばなきゃならなくなってるらしい。面倒だなぁ、と思いつつ、重い荷物を全てカートに積んで、部屋を出る。なんの事はない、通路に出るとすぐ別の係員が荷物を持って行ってくれた。どうやら、乗客以外の荷物が混じっていないかどうか、チェックしているようだ。

荷物が済むと、つぎは入国審査。
これもトランジットなんだから、普通はしなくていいはずなのに、なぜかアメリカは入国審査を受けなくちゃいけないようだ。ひとりづつ指紋と瞳の写真をとられる。
そして、セキュリティチェック。
とにかく長い列。フミトもコウキもだるいし、しんどいし、ぐずぐず言い始めるが、これを過ぎない事には次の飛行機に乗れない。なだめすかして順番を待つ。
列の途中で、変なひも付きのビニール袋と不織布のシャンプーキャップみたいなものがたくさん置いてあるのを見つける。「?」少し悩んだが判明。セキュリティで靴も脱がされるので、ご丁寧に靴を入れる袋と、裸足の足にはく靴下代わりみたいだ。でも誰も使ってないし。。。何かの訳に立ちそうなので、ひとつづつもらっていく。

ようやくチェックの順番が来て。怖い顔の係員に見守られながら順番にくぐっていく。私たちはどうもなかったけど、あいかわらず父はピンポンピンポンと鳴らしていた。これって、必ず鳴る人って決まってるんだよね。

セキュリティも抜け、やっとの事で解放。
もう1時間も残ってやしない。

ジュースやアイスクリームを食べてる間に、すぐ搭乗時間は来てしまった。
「後もう一回がんばったらブラジルだからね〜」とみんなで言い合い、飛行機に乗る。

シートの番号は同じ列の並びの数字だったのだけど、席に行くと真ん中3列、あと2席は両側に分かれてしまっていた。しかも同じ列なのに席ひとつ分くらい後。ありゃ〜 困ってしまったが仕方がない。父、母が別れて乗ることに。二人とも英語なんて話せるわけもなく、ちょっと心配だったが、なりゆきにまかせるしかない。
なんとか落ち着いて、座った。

しばらくすると何事か機内アナウンスがなって乗客がざわめき出す。そして、次々と席を立ち始めた。
----この機内アナウンスってのはあいかわらずちっとも聞き取れない。以前わけわかんないで旅行していた時よりは、随分英語は上達したはずだ! と思っているのだけど、さっぱりだなぁ(T_T)------
---で、何が起こったのか、さっぱりわからないので、近くの女性に聞いてみる。
「What's up ?」(どうしたの?) そしたら、その女性は日系ブラジル人だったみたいで、日本語で「何カ飛行機ノカベニアタッタカラ、降リテクダサイ、ト言ッテマス。」と教えてくれた。
え〜っ!? って遅いけど、がっくり〜〜〜!

みみずグミそれから、また待合いロビーに戻ってひたすら待ったのだ。
約4時間、今日はもうこのままダラスから出られないんじゃないかと思ってしまった。
コウキはじぃちゃんに最近はまっている将棋の相手をしてもらったり、あんまりおいしくないけど、売店で買った"みみずグミ"を食べたりして、なんとかご機嫌に過ごし、フミトは床に寝ころんでひたすら寝ていた。おかげで、次に飛行機に乗る時にはだいぶ回復できたけど。
そうして、予定の17:45からだいぶ遅れて、ようやく10時前、ブラジルに向けて飛び立つ事ができたのだ。あと10時間!
将棋をする くたびれはてた

takotako (2005.11.02) : Comments (0)

長い長いダラスまでのフライト

アメリカンエアラインのシートは、うわさ通りちょっと広めでエコノミーにしては楽そうだった。スチュワーデス・・・って今はフライトアテンダントと言うらしい----さんは、白人の女性に混じって日本人も2人くらいいた。
座席はほぼ満席で、けっこう窮屈。
それでも、しばらくは、もの珍しさで、子ども達も父母もごきげんだった。
しかし、なんと言ってもフライト時間が11時間半もあるのだ。しかもそれでやっと半分。ダラスからさらに10時間乗らなくてはいけない。

父は夕食後、現金で「5ドル」か「500円」のミニボトルのウィスキーを日本円で買って飲んで、さっさと寝ていた。母もしばらくは子ども達の相手をしていたが、そのうち寝た。
子ども達は一度は寝そうになって期待したが、なかなか寝ない。
100円ショップで買った、空気枕は、なんだかごわごわして落ち着かない。
機内用に持ってきた知恵の輪や、磁石付のオセロや将棋でしばらく遊んでいたが、それもだんだん飽きてきた。それでもなんとかなだめつつ、座席のテレビで映画やアニメを観たりして、時間をやりすごしていた。

うちの2人の子ども達は、陸では暴れ回っているが、割合と飛行機は大丈夫な方だった。
数年前ハワイに行った時も、超格安航空券を買ったので(なんとホノルルまで往復33,000円!)ソウル経由で、おまけに欲張って、マウイ島まで行ったので、えらい長い時間飛行機に乗った。が、全然大丈夫だった。
--- なので、今回もまぁ、なんとかなるだろうとタカをくくっていた。
ところが今回は、下の1年坊主のコウキは、そのうち疲れてなんとかおとなしくなったものの、上の4年生のフミトは、このところ急に大きくなってしまった体のせいか「せまい〜」「しんどい〜」「寝られへん〜」といつまでも、グズグズ言い続けていた。

そうは言っても、トイレに行くくらいしか身体を動かせるチャンスもない。何回となくトイレに行ったり、フライトアテンダントのお姉さんにジュースを持って来てもらったりしている間に、なんだか本当にしんどがってきて、ぐったりしてきた。おでこをさわると、熱も出てきたよう。
「あ〜、もう少しだからね。がんばって〜」と母は励ます事しかできない。
おばあちゃん(私の母)も、「ブラジルに着いたら、お医者さんいるからね〜。ブラジルまでがんばって〜」と声をかける。
いや、これはホント。ブラジルの母の妹の息子はお医者さんなのだ。すっげぇ〜!!

「あと3時間」「あと2時間」...テレビ画面で、飛行航路や時間を何回となくチェックしながら、とにかく到着時間を待つ。
フミトもさすがにくたびれて、ウトウトしてきた頃、「当機は間もなくダラスフォートワース国際空港に着陸いたします」のアナウンスが聞こえてきた。

やっと着いた〜 到着だ〜! アメリカだ〜!!
---- って、これがまだ半分なんですけど。。。。

takotako (2005.10.27) : Comments (0)

成田にて

東京成田へは、あっという間に着いた。
以前友達に「成田って、ほんまに大きいんやで〜」と聞かされていて、ちょっと心配したが、旅行会社にもらった案内に国内線から国際線の行き方がちゃんと書かれてあったので、迷わず、シャトルバス乗り場まで行くことができた。
たいした事ないじゃん、と思っていたが、国内線から国際線の建物の移動が遠い遠い!ほんまに広いんやなぁ〜 と思った。

子ども達は時々けんかしてみんなに怒られていたが、父母は非常に機嫌良くおとなしく(^^;)、着いて来てくれていた。

国際線ロビーに着くと、すぐにチェックインした。
席は1列に5人並ぶようにしてくれたようでたぶん大丈夫。
3時間ほど、待ち時間があるので、みんなを残し、私は携帯電話のレンタルを探しに行った。

私の仕事はパソコンがあればできるので、いづれパソコンを持って、仕事しつつ世界中を旅しようと企んでいる。そのテストに今回はノートパソコンを持っていくつもりだった。----が、ブラジルの叔母さんの「ブラジルは泥棒が多いので、持ってこない方がいいです」とのメールで、あっけなく断念(^^;)。
しかし、BLOGに旅日記を書きたいと思っていたので、成田でインターネットができる携帯を借りるつもりだった。

去年マルタ島へ行った時、ホームステイ先でいっしょだった日本人の女の子が、ボーダフォンを持っていて、しょっちゅう日本の彼氏とメールや電話をやりとりしていて、楽そうだなぁと思っていたし。

が、----------- 成田で借りられる携帯は、すべてインターネットの機能が着いていないとの事。がが〜ん。。。。。
なんだか、ブラジルは治安が悪そうで、気軽に町のインターネットカフェへ行けそうな感じじゃないし... だいたい日本語が表示されるかどうかも不安もあったし....
しかし、しょうがない。
やっぱり簡単に日本と連絡が取れるのって、海外旅行じゃないわね。とか自分をなぐさめつつ、なりゆきにまかせる事にした。

いよいよ出国。
出国審査のゲートで「ここを出ると日本じゃないからね。おとなしくしてないと、ここから出られなくなるよ」と子ども達をおどしつつ、母のパスポートもなんのおとがめもなく、無事通過。
---- あ、セキュリティで、父が何回もピンポンピンポンを鳴らしてしまった。
あかん、っちゅーのに、爪切りをカバンに入れていたらしい。
しかし、それを取ってもまたブザー。
ベルト、帽子、まだ鳴る。
どうも、父のポケットの補聴器が鳴っていたらしい。やっと鳴らなくなったので、ドキドキしながら、通過。
ようやく出発ゲートへ。
飛行機はアメリカンエアライン、銀色のジェット機が窓の外に見える。
001kanku.jpg
乗客は日本人と外国人、半分半分くらいかな?
こらからブラジルまでの長い長いフライト時間。
父は爆発しないかしら? 子ども達が暴れ出したらどうしよう。エコノミー症候群は?
今回の旅は、すっかり添乗員気分なので、あれこれ気をもみながら、飛行機にみんなを引き連れて乗り込んだのだった。

takotako (2005.10.26) : Comments (0)

ついにブラジルへ向けて!

■■■ 2005.7.19(火)

さて、いよいよ出発当日。快晴
伊丹13:15発。家族の席がバラバラになると大変なので、早めにチェックインできるように9時くらいに母の家を出る。夫と弟が送ってくれる。
途中で、不安だった帰りのダラスの日程の件をブラジル旅行社へ電話すると、あっさりと「すみません、プリントミスです〜」との事。なんのこっちゃ!?

出発約3時間前に関空に付き、急いでチェックインカウンターに行くが、海外への乗継ぎ線のチェックインは1時間半前でないと、始まらないとの事。ありゃりゃ。。
001kanku.jpg
見送りに来てくれた姉妹と落ち合っったものの、大きな荷物を持ったままであまり動き回る事もできず、しょうがないので、1時間半、レストランなどで時間をつぶす。この先、まだまだずっと長いのに、もう疲れ気味の父。心配だなぁ。


ようやく、チェックインが出来、いよいよ出発。見送り組との別れをおしみつつ、気の短い父にせかされながら、セキュリティの向こうへ。
さらば〜 
しかし、便利なもので、飛行機に乗るまでは、携帯のメールでみんなとメールができる。「今、どこどこ」「アイス食べてんねん」など、など。なんか緊張せんなぁ。。 

やっとこさ出発の時間が来て、シャトルが迎えに来た、どうやら飛行機は離れたところにあるみたいだ。みんなでシャトルに乗り込み「どの飛行機だろ?」とワクワクしながら周りを見ながら乗っていた。が、なかなかたどり着かない。いったいどこまで行くのだろうかと、ちょっと飽きて来た頃、近くに小さな輸送用みたいな飛行機が見えた。こんなんで、荷物とか運ぶのかな、と思って見ていると、みるみる近づいて行く。
え〜っ!?002smallairp.jpg
国内線とはいえ、こんな小さな飛行機に乗るのは初めてだ!
真ん中に狭い通路があり、座席は両側に2列づつ。バスみたい。数えてみたら12列。48人乗り!? ちょっとびっくりしたこの旅最初の飛行機だった。
エンジンがかかると、座席の真下から「ガウゥーン」とか「ゴウンゴウン」とか音が響いて来る。子ども達もちょっとドキドキ。

そんなこんなで、やっとこさ、ブラジル旅行ははじまったのだった。

takotako (2005.10.24) : Comments (0)

出発!---その前に。

さて、いよいよ出発の日が2日後にせまって来た。
7月17日(日)
私たちの家は両親の家と離れているので、今晩から行くことにする。
前日まで、仕事に追われていたので、ほとんど何も用意できていないが、とりあえず身の回りの品と長いフライト中に遊べるパズルやらくがき帳などを、カバンに詰め込んで、夫と子どもと車に乗る。


ブラジル・サンパウロの空港まで、親戚に迎えに来てもらわないといけないので
昨晩、やっとフライトスケジュールをきっちり書き込んだメールをブラジルへ送った。


■スケジュール
<行き>
大阪伊丹 7/19 13:15 →  7/19 14:30 東京成田(飛行時間1:15)
東京成田 7/19 18:00 →  7/19 15:30 アメリカダラス(飛行時間11:30)
アメリカダラス 7/19 17:45 →  7/20 5:47 ブラジルサンパウロ(飛行時間10:07)

<帰り>
ブラジルサンパウロ 8/7 23:30 →  8/7 7:56 アメリカダラス(飛行時間10:26)
アメリカダラス 8/8 10:10 →  8/9 13:15 東京成田(飛行時間13:05)
東京成田 8/9 17:55 →  8/9 19:10 大阪伊丹(飛行時間1:15)


その時、はじめて気がついた。ずっと忙しかったので、スケジュール表を確認してなかった。
----- なんと帰りのアメリカのダラスの乗り換えで、日付が変わっている!
時差と日付変更線のせいで、ものすごくややこしいが、ダラスは2〜3時間待ちだけのはずだ。
確かに一番最初、年寄りの両親を連れて24時間以上の旅はつらそうなので、行き帰りアメリカで1泊づつしようかと、ブラジル旅行社へ相談していた。しかし最終的には、大丈夫でしょう。という事で、ストップオーバーはなしにしたのだ。したはずなのだ。
なのに! 日付が違う!!!

もし、ほんとに日付が違うなら、ダラスでホテルをとらないといけない。
ブラジル旅行社は日・祝は休みだ。
ということは、出発の日まで連絡が取れない。
が、が〜〜〜ん!!

しょうがない。もう、どうにでもなれ。。。。
夫に、もし、本当に日付が違っていたら、ダラスのホテルを予約しておいてね。
と頼んで、とにかく両親の家へ向かった。

takotako (2005.10.05) : Comments (0)

ブラジル編

母の生まれた町(06.10.13) (0)

加古川通り(06.08.04) (0)

ついにイグアズの滝!(06.08.02) (0)

イグアスの滝にはまだつかない(06.07.31) (0)

LONDRINAと祖母のお墓参り(2)(06.07.04) (0)

LONDRINAと祖母のお墓参り(1)(06.06.02)

息子はドクター(06.04.16)

お墓参りでアイルトン・セナ!(06.04.13)

親戚がたくさんのパーティ(06.04.06)

小野田寛郎さんに会ったらしい(06.03.19) (1)

シズヨさんの家-2(06.01.12) (0)

シズヨさんの家-1(05.12.05) (0)

ブ、ブラジルだ〜(05.11.30) (1)

さらにダラスで4時間!(05.11.02) (0)

長い長いダラスまでのフライト(05.10.27) (0)

成田にて(05.10.26) (0)

ついにブラジルへ向けて!(05.10.24) (0)

出発!---その前に。(05.10.05) (0)